2009年12月28日月曜日

基礎工事~家の建て替え(4)

地鎮祭が終わって始まった基礎工事。まずは地盤改良の杭打ち。地中の固い部分までコンクリートの棒を埋め込む。直径20cmのやつが59本もあった。続いて基礎作り。積水ハウスの特徴は、この基礎に模様が付いている。最後に前面にコンクリートを流し込む、はず。
ここまでの段階で配管工事も完了。写真は、その配管工事をやっているところ。寒い中、ご苦労様です。
地鎮祭の段階では、狭いなー、こんな狭い所に住んでたの、と見えたが、基礎が形作られてきたら、少し大きく見える。
この後は来年。いよいよ上物の工事が始まる。

2009年12月19日土曜日

雪の朝

冬至前。なかなか夜が明けない。午前5時半に家を出ると、あたりは真っ暗。晴れていれば、星が見える。
そんな中、ゆっくりとジョグに出る。
昨朝、今朝は雪。昨朝は5ミリほどの冠雪で、つるつる滑り走りづらかった。
今朝は1センチほど。やわらかく、凍ってなく、走りやすい。
雪明りで土手を走り、新雪に足跡を付ける快感を味わっていた。明るくなってきたら、先客がいたことが判明。
早朝から、真っ暗な土手を歩く(走る?)人がいたのだ。

写真は10キロ強ある練習コースの終盤風景。午前7時前。もう少しで太陽が昇る。






2009年12月17日木曜日

カニムシ

「栽培土壌マネジメント特論」という授業で、1週間前、林の土を採取した。
目的は土の中にいる虫を調べるため。
その土を網にのせ、3日後の月曜日、採取。アルコールに漬けプラスチックのケースに保管した。
その内容物を採取から1週間後の今日、顕微鏡で観察した。
中は、微小な虫の宝庫だった。
写真はカニムシ。他、左下にアブの幼虫。カニムシの右側の鋏の下にはトビムシ、右上にはダニ。多くの虫がいる。
驚きである。土の中に、これだけ形がはっきりした微小動物がいるのである。
写真は、うまく色が出ていないが、顕微鏡で見ると、結構、美しい。他に、ヒメミミズ、甲虫、などがいて見ていて飽きが来ない。
カニムシははっきりとした形状を成しているではないか。
大きさは1mmほどか。それでもしっかり存在している。
ダニも足があり、口があり、しっかり動物として生きている。
写真の対象物はアルコールで死んでしまっている。
が、土中では生きていたのだ。素晴らしい。

うれしいこと

きょうは4年生の卒論のお手伝いをした。
研究室を訪れたら「○○さんの手伝いをしてほしい」と言われ、言われるがままに実験室に。○○さんは熱を電気に変える実験をしていた。その電気を携帯電話に充電させる部分で、うまくいかないらしい。
やっている通りに接続したはずだが、うまく、いった。
○○さんは望外の喜び。
こちらは非常に恐縮してしまうが、うれしいこと、はうれしい。
単純なことをやっただけだが、なんか人の役にたったようで、うれしい。

2009年12月15日火曜日

酒蔵見学

今日は塩釜の造り酒屋「阿部勘酒造店」の工場を見学した。
小さい蔵元で、近代的工場だが、歴史は古い。創業は享保初年(1716年)。塩竃神社への御神酒御用酒屋が酒造りの原点という。
ブランドは「於茂多加 男山」。最近は宮城県内向けは「於茂多加」、県外向けは「阿部勘」として売り出している。出荷本数は少なく、問屋を通さず、酒屋さんに直接販売している分が多い。
ちょうど、酒米「亀の尾」を使った純米吟醸を造っていて、機械で圧縮して搾るお酒と布に入れたお酒が垂れてくるのを待つお酒の2種類を試飲させていただいた。
味は垂れてくる方に軍配。写真がその窯。中に、搾りを待つお酒が詰まった袋が吊るしてあるので、別名「首吊り」ともいうらしい。

杜氏の方に「どうやって毎回、同じ味を出すのですか?」と聞いたら、酒米の出来は毎年変わるので、その都度、それに合わせて仕込むという。
結局よくわからなかったが、要はプロの腕、ということか。
毎回大変で、「これでいい」という終わりはない、とのことだった。

2009年12月13日日曜日

いのちをいただく

自分で野菜を作り、自分で鶏を育て、自分で料理する。
それを実践したい。
そんな思いがある。
しかし、経験はない。
山形県山辺町の1500坪の農園で鶏を飼うSさんに、鶏を絞める際は見せてほしい、とお願いした。
Sさんは最初、嫌な顔をしたが、「将来、(鶏を)自分で育て、自分で料理したい」と理由を説明すると、了解してくれた。

そのSさんから先月、電話があった。12月に鶏を絞めるから来るか、と。絞めた鶏はクリスマスに間に合うよう燻製にするから、10日ごろから15日までがよい、とも。
日程を調整し、今日13日、山辺に出かけた。
10時の約束だったが、9時半ごろ着くと、Sさんはすでに4羽の鶏をつるし、うち1羽の毛をむしっていた。
以下は鶏をさばく手順。

飼っている鶏を昆虫用の網で捕獲し、足を縛り、逆さにつるす。
鶏の頸動脈を包丁で切り、血を落とす。
その鶏を80度のお湯に20秒ほどつけて、毛をむしりやすいようにする。
この際、何度か上下し、毛元にお湯がよく浸かるようにする。
ただし時間が長いと、煮てしまうことになるので注意。
お湯につけた鶏は毛がむしりやすい位置に逆さにつるし、毛をむしる。手でむしれない場合はピンセットを使う。最後、細かい毛はバーナーで焼き切る。
次に関節の筋を切り、腿肉、手羽先を切り分ける。さらに心臓、肝臓、砂肝を取り、他の内臓や首、足は捨てる。
骨はガラとして取っておく。
腿肉や手羽先も骨と肉を切り分ける。

以上で終了。
魚料理と違って、まったく臭くない。
鶏肉自体は見慣れているので、それほど違和感はない
違和感が若干あるとすれば、見たことがない内臓を目にすること。
先ほどまで生きていた鶏だから、食べた直後の野菜なども出てくる。
作業中は、鶏の油で包丁が切れなくなるから、包丁は何度も研ぎ直す。
寒い外での作業で手がかじかむが、鶏のいのちをいただくのだ、と思うと、そんなことはどうでもよくなる。

そう。我々は、こうして、いのちをいただいているのだ。
その行為を知り、いのちの大切さを知る。
それはとても大事なことである。

帰り、Sさんから1羽分の肉とガラをいただいた。
家に帰ったら、父親が張り切り、調理に取りかかった。
これはとても珍しい。
昔々、自分で鶏を絞め、料理した経験があるからだろう。
砂糖、酒、醤油で味をつけたスープはとてもおいしかった。

写真は烏骨鶏。真っ白な羽をむしったら、黒い皮が現れた。

2009年12月12日土曜日

日本料理の作法

「日本料理の作法」というのを学びました。
料亭には何度か足を運んでいますが、「日本料理の作法」を学んだ経験はありません。
今回は、襖の開け閉め、座布団の裏表の見分け方、お椀の持ち方、などを教えていただきました。
写真は教師による卵焼きの実践。土鍋でのご飯の炊き方も教えていただき、ご飯、卵焼き、味噌汁、そしておしんこを食べました。
お椀の具を食べる時、汁を飲む時、それぞれ別に行うって、知ってます?
その度に、箸を箸置きに置くのです。
今回は、襖の開け閉めから始まり、お椀の持ち方、座布団の動かし方、など間違いが多く、大変でした。
これらを知っていれば、体得していればいい、でしょう。
しかし、やはり作法よりも、“中身”の方が大事、そんな気がしました。
料亭では、当然ながら、作法よりも「話」が大事なのです。
「話」がうまく進めば、作法に左右されることはありません。
それでも、「作法」というルールを知っていると、面白いような、そんな気がしました。
ゴルフでも、マラソンでも、ルールがあります。ルールにのっとりゲームを進行させるから、面白いのです。
作法を守っている方が、楽しいことは、言うまでもありません。

地鎮祭~家の建て替え(3)

家の解体が終了し、地鎮祭が行われた。これからの工事の安全と関係者の安寧を神様に祈った。
前夜からの雨で、敷地はぬかるんでいた。雨は地鎮祭が終わるころに止んでいた。
式は、神主さんの指示に従い、神様に祈りをささげ、設計関係者が草刈り、施主が鍬入れ、工事関係者がスコップによる工事開始の儀式を行い、最後に直りとしてお神酒をいただいた。
工事の解体開始から1週間。地鎮祭まで間に合うか、と少し心配したが、さすがにプロ。あっというまに解体、片付けを行い、地鎮祭にたどりついた。
今後、基礎工事が始まる。この辺りは4m程度下にならないと固い地盤にならないらしいから、4m以上杭を打ち込む。その数、50本程度。それが済んで、あとどうするんだろう。

建物がなくなった敷地はとても狭く見える。60坪以上の土地だが、狭い。こんなとこに住んでいたのだろうか。

2009年12月10日木曜日

太陽熱発電

この白く輝くのは平面のフラクタルレンズ。このレンズで太陽の熱を集熱し、熱を電気に変換する素子がその背後に控えている。その数100枚。写真ではうまく見えないが、両側に太陽光を電気に変える太陽電池も備えられている。
この面は、写真ではほぼ垂直だが、太陽を追尾し、常に正対する仕組み。
朝になれば東を向き、日中は南、夕方は西に向く。
太陽光発電同士で比べても、追尾しない方式に比べれば、倍以上の発電率を誇る。

この太陽熱発電の実験システムが12月10日、宮城大学に完成した。

各パーツ自体は専門家が作ったものだが、組み立ては手作り。熱電素子の周りを耐熱石綿で囲んだり、フラクタルレンズを固定したり、私も少しだけかかわった。

線の接続はまだ。終わったら、いよいよデータ採取が始まる。

2009年12月9日水曜日

NAHAマラソン2回目終了

NAHAマラソン2回目のメダル獲得が、終了した。
「2回完走」と書きたいが、今回も半分は歩いていた。
中間地点までは走ったが、25キロぐらいからはほとんど歩き。
とてもじゃないが完走とは言いがたい。
それでも6時間15分の制限時間内にグランドに戻り、ご覧のようなメダルをいただいた。
制限時間の閉門の知らせを聞いたのは、グランドを歩いているとき。気持ち悪くて、歩くのもやっとだった。
そう。気持ち悪かった。周りの人は筋肉痛や足の痛みなどで走れなくなるようだが、それはなかった。
マラソン前々日、そして前日に眠れず、当日もスタートまで3時間を切ってから朝食を摂ったりして。それらすべてが悪かったのだと思うが、何かが胃の中に残っているようで、調子が悪かった。
途中、走りながらおにぎりをほうばっている人がいたが、信じられない。

しかしNAHAマラソン。沿道の声援は最後まで途切れなかった。
YMCAでランナーにY、M、C、Aのポーズを取らせ、小学生のエイサーがリズムを響かせ、懐かしいグループサウンドが応援歌となる。
提供物も面白い。水、塩、バナナ、オレンジ、レモン、氷、黒砂糖。この辺は普通だと思うが、なかにはおにぎりもあった。さらにはオリオンビールと煙草も。これも提供物?。

今回参加したのは3万人。うち2万人が42.195キロを「完走」した。
リタイヤ率が高いのもNAHAマラソンの特徴らしいが、お祭りの一種と思えば、参加者が多いのはいい。
でも。限界だろうな。真っ直ぐ走れない。走ろうとすると、歩いている人にぶつかってしまう。

調整失敗のNAHAマラソン。来年こそは5時間切りで走りたい。

2009年12月4日金曜日

引っ越し~家の建て替え(2)

アパートに引っ越した。
いざ引っ越すとなると、いろんなものが出てきた。
小学校時の通信簿やら賞状、教科書・・・。
簡単に捨てられない物としてはホルマリン、コールタール。
ホルマリンは薬局に処分を依頼した。
コールタールは親戚の人が持って行った。
その他、トイレ用の殺虫剤も出てきて、庭の流しに捨てたら、あたり一面が臭くなった。この流しは古い設備で、下水管ではなく、雨水口につながっていたのである。あわててストップ。残りはトイレに流したが、雨が降るまで2日間ほど匂っていた。
引っ越し屋さんはさすがに早い。あれよあれよという間に荷物をアパートに運んだ。
アパートへの荷物を運び終えると、コンテナ預かりの分を運び出した。
これも早い。2カ所向けの引っ越しを続けて進めたが、午前中で片付いた。
残念ながら、へそくりの類は出てこなかった。
母親が失くしたという指輪も行方不明のまま。
ただ押し入れに100円玉が落ちていた。